稲荷神社 まめからさん 基本情報
-
宮城県登米市豊里町新町10−1
- 0225-76-4578
稲荷神社 まめからさんに電話で問い合わせる
上のボタンをクリックすると、稲荷神社 まめからさんに電話発信がすることができます。
稲荷神社 まめからさん アクセスマップ
- 上のグーグルマップ内の【拡大地図を表示】をクリックすると、スマホならグーグルマップアプリが起動します。
- グーグルマップアプリが開いたら、右下に【丸い形の車マーク】をクリックしてください。
- すると、現在地から目的地までの道順経路の候補が表示されます。好きな経路を選んで【三角▲のボタン】をクリックするとナビ設定完了!目的地までのカーナビに早変わりです。
ざっくり言うと、この記事のもくじは以下のとおりです。
- ざっくり言うと、この記事のもくじは以下のとおりです。
- 主祭神・由緒 ー宮城県神社庁データベースよりー
- 【動画アリ】まめからさんの宮司さんは、キリコ(白い紙のきりこ)の製作で有名です。
- 公式サイト 東北のオカザリ―神宿りの紙飾り―
- 写真を撮ってきました。2016年1月3日
- 県指定無形民俗文化財『上町法印神楽』が継承されています。
- 豊里町 稲荷神社 まめからさんへのアクセスGoogleMapへ
主祭神・由緒 ー宮城県神社庁データベースよりー
稲荷神社はこれまで約二百四十余年の歴史を有します。神社の前身は京都聖護院派配下で天台宗に属し熊野三山で修行を積んだ本山派の修験院であり、安永三年(1774)に本山派寶寿院秀栄(五世)が仙台藩に提出した「安永の風土記御用書出」に「寛文拾歳胎藏院即源開基当年迄百拾四年ニ罷成候事」また「右院赤生津村之内新田と申所ニ御座候事」と明記されている。新田は東藩史稿に記してある甲州、武田勝頼の遺族「武田充信 父貞信」の段に「正保承慶ノ初開田ノ地ヲ桃生郡和淵、登米郡赤生津ニ賜ヒ、」と明記がある、新田開拓の後、領主伊達氏をはじめ地域住民神殿を遷宮、神霊を遷し祀る。明治12年村社列格。同44年供進社に指定される。稲荷神社はまた、いつのころからか、「まめから明神」の愛称で親しまれています、祭りの時期がちょうど豆畑の収穫が盛んなころ行われていて、神社の周辺の豆畑が近郷近在の多くの参拝人に踏み荒らされることからこのような呼び名がついたといわれています。
歴史 | データ |
---|---|
由緒 | 二百四十余年の歴史 |
主祭神 | 倉稲魂命、豊受姫命 |
【動画アリ】まめからさんの宮司さんは、キリコ(白い紙のきりこ)の製作で有名です。
2014年、多摩美術大学でキリコ展が行われ、講師として実演されています。
公式サイト 東北のオカザリ―神宿りの紙飾り―
写真を撮ってきました。2016年1月3日
県指定無形民俗文化財『上町法印神楽』が継承されています。
上町法印神楽は、豊里町稲荷神社の例大祭に奉納されてきた神楽で、県指定無形民俗文化財にもなっています。
稲荷神社が現在の場所に移されたのは寛文2年(1662)と伝えられており、上町法印神楽は、旧暦の9月15日に山伏の法寿院が中心となって、開拓の竣工と豊作を祈念した例祭を行った際、奉納されたものが始まりといわれています。
法印神楽は、東北地方独特のものとして出羽三山などの各地の霊山で修行する山伏などによって伝えられてきたもので、上町法印神楽もその一つと考えられています。
もともと神楽は仏教的な信仰色の濃いものでしたが、長い年月や時代の政策などにより、神道的な形となって現在に伝わっています。
上町法印神楽は、神話などを題材に舞人が「カンナギ」というせりふを、胴取りと呼ばれる太鼓打ちが神歌を唱え、それにあわせて笛が曲調を奏でます。
現在は、毎年10月の体育の日の前日に開催されている稲荷神社の例大祭に奉納されています。
撮影:藤田象観
LEAVE A REPLY