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詩人 梶原しげよの世界を訪ねます。そして、しげよの生家 早馬神社 33代宮司 梶原忠利さんに、叔母しげよの生い立ち。そしてリアルなエピソードをお聞きします。

詩人 梶原しげよの世界を訪ねます。そして、しげよの生家 早馬神社 33代宮司 梶原忠利さんに、叔母しげよの生い立ち。そしてリアルなエピソードをお聞きします。

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今回のまちナビチャンネルは、気仙沼市唐桑出身の世界的詩人 詩人 梶原しげよの世界を訪ねます。

そして、しげよの生家、早馬神社 33代宮司 梶原忠利(ただとし)さんに、叔母(おば)しげよの生い立ち。そしてリアルなエピソードをお聞きします。

この続きは動画をご覧ください

いま うまれている
第一詩集『生と死のうた』より

いま うまれている文字たちよ

おまえこそ わたし

小川のように うでをながれ

ゆびさきから白紙にしたたりおちたこころ

 

まぶたを閉めた世界の奥に住むわたしは

ともしびを提げてはいない

夜の海ふかく沈んだ 星の記憶なのだ

しかも そこでは

わたしは じぶんを捉える網ではない

 

けれど いまのわたしを問われたら

ためらいなく おまえを指すだろう

小さいながらも わかあゆのたしかさで

まひるにきらめく文字たちよ

 第一詩集『生と死のうた』より

梶原しげよの動画を再生する

【解説】いま うまれている

これは、詩が生まれる瞬間をとらえたものです。文字が、「小川のように うでをながれ ゆびさきから」白い紙にしたたっていき、「わかあゆの」ようにきらめくのです。
詩を書く喜びにあふれた、みずみずしい作品です。
また、詩を書くことは、自分を探すことでもあります。「夜の海ふかく沈んだ星の記憶」のようなとらえどころのない「わたし」が、詩を通じて、はっきりと立ち上がってきます。「文字たち」は「わたし」とイコールなのです。

【チャプター1】
詩人 梶原しげよは、1920年、宮城県気仙沼市唐桑町)、早馬神社(はやまじんじゃ)に生まれました。

32代宮司 梶原重義の妹、33代現宮司 梶原忠利の叔母にあたります。

しげよは10代から2015年に95歳で生涯を閉じるまで、一貫して、生と死をテーマにした詩を書き続けました。
その詩は何カ国語にも訳され、20世紀芸術世界賞、ウィーン文化賞をはじめとして世界から60以上の賞を受けています。
そして、ローマ・ヴェネチア・モスクワ等より名誉作家として認定されるなど、国内外を代表する詩人となっています。

風や空と自由に話す詩人、美しい言葉が流れていきます。
海のことば、樹々のことば。
その言葉は根源的で、かつ、あまりにも新しい。
どうぞ、その「しげよと言葉」の世界に触れてください。


第一詩集『生と死のうた』より

窓から はいってくる空のふかさが

わたしの教科書を消させ 言わせてしまう

「この時間の先生は あお空です」

 

100のつぶらな瞳を翔って

ひらかれた教場にむかい

とび立つ たましいの群

 

授業がはじまったらしい

かれらは どんな先生のかおを映し

どんなことばや文法を収穫しているのだろう?

 

まだ だれもかえって来ないひるさがり――

なぎさに打ちあげられた貝がらの肉体を

からっぽの「時」がのぞいては過ぎる 

第一詩集『生と死のうた』より

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【解説】秋

しげよは、柳津尋常高等小学校や唐桑国民学校などで先生をしていました。そのときのことがベースにあります。教室で勉強中、窓からふかい秋の空が見え、先生は思わず言ってしまいます。「この時間の先生は あお空です」と。子供たちの心は外に飛び立っていきます。そんな心を、先生は、面白がって見つめています。あたたかなまなざしがうれしい作品です。

【チャプター2 生い立ち】
唐桑の海と神社に育まれたしげよは、すくすくと、そして文学の才能豊かな子に・・・

1920年、大正9年、4月23日 早馬神社に、二男七女の末っ子として生まれたしげよ。
唐桑(からくわ)の海と神社に育まれたしげよは、すくすくと、そして文学の才能豊かな子に育ちました。その姿は文字通り才色兼備。

勉強も優秀だったしげよは昭和10年、気仙沼実科高等女学校(けせんぬま じっか こうとう じょがっこう)に入学。このころから短歌、詩を書き始めます。
女学校を卒業したしげよは、昭和14年、宮城県津山町柳津小学校に勤務しながら、短歌や詩を投稿し始めることになります。
昭和28年、フランス文学者髙村智(さとる)(のちの東京都立大教授)と結婚。その後昭和34年から千葉県流山市に居を構え、詩を書き続けました。

港 
第十一詩集
『いつも何かとともに』より

港!

さざ波もねむらせて 待っている

 

きょうは

どんな海をのせてくるのやら

 

いいえ

それよりも 無事なすがたを

港!

親が 子を待つように

 

第十一詩集 『いつも何かとともに』より

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【解説】港

しげよのふるさと唐桑は、漁業の町です。生まれた家のすぐそばにも港があります。港は、船の帰りを待っています。今日はどんなお魚を獲ってきてくれるのか、楽しみにしています。しかし、それよりも、まず、無事で戻ってくることを願っています。それは、親が子の帰りを待つ気持ちと同じです。短い、シンプルな詩だからこそ、気持ちが強く伝わってきます。

【チャプター3 記念館ができるまで】
2015年11月8日、95歳で生涯を閉じたしげよの作品は生家である早馬神社に集められました。

そして、しげよの夢を実現するために作品展示の準備に取り掛かりました。
2017年 早馬神社境内に、梶原しげよ記念館を建設。
しげよの作った美し詩、生い立ちについての説明、数々の受賞記念品が展示されています。

花とわたし
第十四詩集
『わたしは門もとびらも持っていない』
より

たしかにおおきく違うのだ

かおや姿が

 

色彩も

かおりも

ことばも

体温と血液さえ

 

そして

もしかすると

ゆく先までが――

 

しかし

なぜなのだろう

ひとつだけは どうやらおなじよう

 

澄みわたった 秋の野辺で

たがいに しみじみとみつめ合い

いま

花は 咲いている

わたしも 咲いている

第十四詩集『わたしは門もとびらも持っていない』より

梶原しげよの動画を再生する

【解説】花とわたし

 植物である「花」と、人間である「わたし」は、もちろん違う存在です。色も、匂いも、言葉も、体の温度も、体に流れているものも、全く違います。しかし、たったひとつ似ているところを、しげよは発見します。この澄みわたった秋の野原で、「花」も「わたし」も咲いているというのです。

 これは、しげよが80代の頃の作品ですが、今「わたし」が咲いていると言い切れるとは、なんてすてきなのでしょう。

【チャプター4 生家早馬神社について】
時は鎌倉時代。鎌倉市鶴岡八幡宮の重要な職である別当(べっとう)を努めていた梶原景実

時は鎌倉時代。鎌倉市鶴岡八幡宮の重要な職である別当(べっとう)を努めていた梶原景実(かげざね)は、鎌倉幕府初代将軍 源頼朝公(みなもとのよりともこう)の命によって夫人 北条政子(ほうじょうまさこ)の安産祈願を執り行いました。政子は無事安産で二代将軍源頼家公(みなもとの よりいえ こう)を出産しました。

梶原景実(かげざね)は今から約800年前、早馬神社を創建し初代宮司となりました。この史実(しじつ)から古くより安産・子育てに御利益(ごりやく)ありといわれています。

梶原しげよの動画を再生する

【チャプター5 公式パノラマ案内】
気仙沼市唐桑 早馬神社をスマートフォンやタブレット、PCから、360°パノラマで体感することができます。

スマートフォンでは手軽に360°パノラマ、PCの大画面なら大迫力の360°パノラマの世界を体感できます。
アクセスは検索しやすい日本語アドレス https://早馬神社.jp
早馬(はやま)神社公式パノラマサイトで、アクセスマップも公開していますので、 ぜひ で検索してみてください。

まちナビチャンネル
この番組は、

梶原しげよ記念館

早馬神社

Making Tomorrow the power of citizen
メイキング トゥモロー ザ パワー オブ シチズン

まちナビ編集部が
お送りしました。

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